人生を語ることで最後まで充実した人生を送りませんか

自分史を通じて、これまでの人生を「自身で祝福」しましょう

ごあいさつ

Well-BeingとはWHO(世界保健機構)の前文に掲げられた、
「健康」を表す概念です。

WHOはまた、最高水準の「健康」は、基本的人権とも云っています。

わたくしは25年前にWell-Beingという言葉と出会い、強い感銘を受けました。
そして、心から「Well-Beingd社会の実現」を願ったのです。

この度、原点に立ち戻り、プライベートカンパニーの社名を株式会社ウェルビーイング・ジャパン(旧社名 株式会社オフィス・モトヤマ)に変更させていただきました。

100年元気であり続ける『個人・組織・社会』の実現を目指し、今後ともより一層の精進を続ける所存でございます。
引き続き、ご愛顧たまわりますよう、よろしくお願い申しあげます。

株式会社ウェルビーイング・ジャパン
(旧社名 株式会社オフィス・モトヤマ)
代表取締役 本山 雅英

株式会社ウェルビーイング・ジャパンの概要

社 名株式会社ウェルビーイング・ジャパン
(旧社名 株式会社オフィス・モトヤマ)
住 所奈良市大宮町2-3-52-605
経営理念企業経営者へのエグゼクティブ・コーチングおよび、企業への組織・人事コンサルティングによりWell-Being社会の実現を目指す!!
事業の概要
  • -1 Well-Being経営サポート
     【組織・人事コンサルティング】※
  • -2 Well-Beingエグゼクティブ・コーチング
  • -3 自分史コーチング
     ・コーチングによる自分史づくりのお手伝い。(執筆代行を含みます)
  • -4 人生百年時代のWell-Beingシニア・ライフ・サポート
※組織人事コンサルティングについては、㈱組織デザイン研究所にお問合せをお願いいたします。
設立年月平成22年11月
資本金777万円

代表取締役 本山雅英の経歴

  • ◆現職

    株式会社ウェルビーイング・ジャパン
    代表取締役 奈良市大宮町2-3-52-605
    株式会社組織デザイン研究所
    取締役会長 大阪市中央区今橋4-1-1 淀屋橋三井ビル4F
    一般社団法人四国ライフエンディング協会
    理事・顧問 高松市丸の内9-8 ダイアパレス丸の内210
    株式会社 人生百年サポート
    取締役会長 同上高松市丸の内9-8 ダイアパレス丸の内210
  • ◆学歴

    1973年
    神奈川県立平塚江南高等学校 卒業
    1977年
    同志社大学文学部心理学専攻 卒業
  • ◆経歴

    1977年
    イセト紙工㈱ (現、イセトー) 営業~商品開発~人事教育~広報
    1992年
    ㈱日本ブレーンセンター
    (現、エン・ジャパン)組織活性化事業部チーフ・コンサルタント
    1996年
    ㈲組織デザイン研究所(現、㈱組織デザイン研究所) 設立 代表取締役
    2002年
    ㈱コーチング・ラボ・ウエスト 設立 代表取締役 (2015年解散)
    2015年
    京都橘大学心理学部講師(コーチング心理学)
    2019年
    ㈱ジャパンビューティプロダクツ 代表取締役社長(2022年退任)
    2022年
    ㈱人生百年サポート 設立 取締役会長
  • ◆著作等

    出来る人の会議に出る技術 日本能率協会マネジメントセンター/共著
    メディカル・サポート・コーチング入門 日本医療技術センター/共著
    ファシリテーション7つのスキル コーチング・ラボ・ウエスト
    初めてのコーチングとファシリテーション 北大路書房

Well-Being Japanは「自分史づくり」のお手伝いをいたします

あなたの人生を語ってください

人生百年時代・・すべてのシニアに「生き生きと人生を語って欲しい」との思いから、自分史づくりのお手伝いをスタートいたしました

大した人生を送っていないから、書くことがないと思っていませんか。

平凡な人生だからこそ、
・両親のこと
・仕事のこと、
・かかわり(お友達)を思い出しながら、まとめていきませんか。

素晴らしい人生を整理し、文章にする。私たちがあなたの自分史づくりをお手伝いいたします。

未来に記憶を残すということ(記録)

私たちには、未来に記憶(記録)を残す義務があります。

  • 1.自分が生きてきた歴史(生涯あるいは半生)のふりかえり
  • 2.自分が生きてきた時代、その中で自分はどう生きたのかの記録
  • 3.自分の家族、人間関係の歴史(思い出)、恨みつらみも本にすることで昇華できます
  • 4.誰に読ませたいのか? プレゼントしたいのか?
  • 5.ファミリーヒストリーにするなら、改製原戸籍がその第一歩を調べることで、自分のファミリーヒストリーが明らかに!!

「どう生きてきたのか」を、子どもたち、孫たちに伝えませんか

自分史コーチング+執筆代行

わたし本山雅英がコーチング・スタイルで、自分史づくりをサポートいたします。書くのが苦手な方には、執筆代行もいたします。

私は自分の家族、特に子供たちに「仕事のこと」「自分がどう生きてきたのか」などを、ほとんど語ってきませんでした。

平成22年(2010)に父が亡くなった時、父が残してくれたエンディング・ノート・・大学ノートにかかれたもの・・があったため、葬儀の方針、銀行の手続きなど大変スムーズに進めることができました。

母は、平成30年(2018)に亡くなりました。母の生き様については、父のそれよりは多少詳しく知っています。それでも、やはり「もっと聞いておけば良かった」と感じています。

2020年にコロナ禍がスタートした時、「いつ死ぬかわからない」との思いから、「私がどう生きてきたのか」を、子どもたち、孫たちに伝えたいと考えて「自分史」を 書きました。
そうすると、いろいろいなことが思い出され、今まで出会った多くの恩人たちとの出会いや繋がりに、心から感謝の気持ちが涌いてきたのです。

何人かの方に、「自分史を書いてみたらどうですか」とお薦めしたのですが、異口同音に、「しゃべるのは出来るけど、どうやって書いたら良いのかわからな い」。
という声をたくさん聴いて、自分史コーチングが生まれました。

本山 雅英(もとやままさひで)

  • ・株式会社組織デザイン研究所取締役会長
  • ・株式会社ウェルビーイング・ジャパン代表取締役
  • ・一般社団法人四国ライフエンディング協会 顧問・理事

組織、人事コンサルタント「60歳からの人生脚本」「60歳からのSDGs」をライフワークとしている。

こんなまとめ方も・・
名刺で綴る本山雅英の自分史(プロフィール)

本山雅英の「自分史」より内容掲載。過去の名刺と合わせてご紹介します。

1978年 伊勢藤紙工株式会社 入社(22歳)

東京支店営業部 新規開拓 飛び込みの毎日をおくる

私が入社した、1978年当時、ビジネスフォーム業界は、一位がトッパンムーア(現、トッパンフォームズ)。二位、小林記録紙。三位、大日本印刷ビジネスフォーム事業部。そして、伊勢藤紙工が、第四位。業界では、大手四社といわれていた。

1981年1月 本社情報企画部 異動(26歳)

退職して、大学院に戻ろうと決めていた三年目の一月に、大阪本社へ異動の辞令が出た。情報企画部という、商品開発の部署。若手社員からは、あこがれの部署なのだが、この時は会社を辞めようと思っていた。結局、退職はせずイセトで仕事をつづけた。

1987年(32歳)
イセト紙工㈱ 総務部教育課長

教育プロジェクトに引き続き、人事制度の見直しプロジェクト。人事情報システムを導入し、管理職研修などを運営するようになり教育課は人事部門機能ほ果たすようになる。

1990年(35歳)
イセト紙工㈱ 広報課長を兼務

非上場のイセト紙工の名をどう広めるかは、私が入社した時からの課題。人事教育の立場から言えば、優秀な人を採用するためには、知名度向上は最重要課題だった。

1992年(37歳)
株式会社日本ブレーンセンター  人材開発マネジャー(現、㈱エン・ジャパン)に転職

イセト紙工を退職し、人材開発室マネジャーとして、日本ブレーンセンターに入社した。目標管理制度「チャレンジ・システム」を設計し、社内にリリースした。
さすが、新しくて若い企業である。一気に運用に入れたのには、ビックリした。イセト時代には、考えられないスビード感であった。

1992年(37歳)
株式会社日本プレーンセンター 組織活性化事業部チーフ・コンサルタント

イセトを退社後に、いろいろなお知り合いから、仕事の依頼が入ってくるようになった。採用・教育・評価の三位一体を作り上げれば、それは必ず中小企業クライアントのお役に立つと私は確信していた。

1996年 独立
有限会社組織デザイン研究所(41歳)

有限会社組織デザイン研究所は、奈良市疋田町にある徳丸ビルの二階からスタートした。駐車場一台ついて、家賃は、50,000円。
14坪のオフィスだった。ホームセンターコーナンに行って、事務机と椅子、パイプ椅子と折り畳みテーブルなどを調達した。コーナンの貸し軽トラックで、自分で持ち帰って搬入した。ワープロとパソコンがそれぞれ一台づつ。コピー機だけは、ちゃんとしたミタの30枚機を入れた。

1998年 京都へ(43歳)

独立して、組織デザイン研究所となった時の、私のメインのクライアントである堀場製作所、オムロン、信和ゴルフ。営業的には、日本プレーンセンターを通していたが、実質的には私のクライアントである。奈良から毎日のように京都に通っていたのだが、どうも効率がよろしくない。これだけ毎日、京都に通うのであれば、京都に事務所を持つのが現実的と考えるようになった。

2002年 有限会社コーチング・ラボ・ウエスト

「本山さんのスタイルを勉強したいと言っている仲間が何人かいるので、何か勉強会はできませんかね」がきっかけとなり、ファシリテーション勉 強会をスタート。
一連のトレーニングに参加してくれたメンバーのエネルギーを、何とかうまく活用したいと思うんですけど。何とか組織化はできませんかね。普通の会社のように束縛感のあるものではなくて、もっと自由で、かつ有効な情報交換とか刺激を与えられるような・・・。NPOなんかも面白いと思うんですが・・・」
結果的に、コーチング・ラボ・ウエストという有限会社を設立することになった。後に、株式会社に改組。

SSP第1期終了式

2004年 プロ・コーチ養成プログラム

コーチング・ラボ・ウエストでは、2004年の4月から、プロ・コーチの養成プログラム【SSP】をスタート。SSPとは、 Supervising Systems for Professional coachの略である。
4月からスタートして、毎月、土日一回の二日間を3月まで。プログラム期間中に、受講者が20人の有償クライアントを獲得することを、コーチング・ラボ・ウエストのメンバーがスーパーバイザー役となり、 One to oneでサポートするプログラムである。

2013年 株式会社組織デザイン研究所

2009年には、小笠原税理士事務所のコンサルタント会社である、株式会社経営エンジン研究所の取締役にも就任。経営エンジン研究所と、組織デザイン研究所は2013年に経営統合し、株式会社組織デザイン研究所となった。
小笠原税理士事務所は、2013年に、御堂筋税理士法人として生まれ変わった。私の組織開発ノウハウは、本山塾という所内プログラムにより、御堂筋税理士法人の税理士スタッフに継承されている。

2019年 高松 四国ライフエンディング協会、株式会社人生百年サポート

SSP第2期生で、SCP第8期の最後までプログラム運営のサポートをしてくれた、十川美加さんから相談があった。彼女は毎月、ウェル ビーイング・ジャパン主催のコーチングの公開講座を開催してくれていた。「高松で、終活に関する団体を始めようと思ってます。名前は、一般社団法人四国ライフエンディング協会にします。その協会の顧問になっていただけませんか」と。

私は理事・顧問として、四国ライフエンディング協会を支援することになった。また、高松にて十川美加が代表を務める「ありがとう」で繋がる社会の実現を目指すをコンセプトに、まごころサポートを展開する株式会社人生百年サポートのサポートも行っている。

2023年 株式会社ウェルビーイング・ジャパン
(旧、株式会社オフィス・モトヤマ)

プライベートカンパニーである株式会社オフィス・モトヤマを、株式会社ウェルビーイング・ジャパンに社名変更。 人生百年時代の自分史コーチング、エグゼクティブ・コーチングをライフワークとする。

お問い合わせ

経験豊富な担当者がヒアリングさせて頂きます。
お気軽にご相談ください。